海の向こうのお○○さん。

 今や日本で最も有名な米国下院議員マイク・ホンダの記事がありました。戦後米軍専用の慰安所があった話は有名ですが、旧日本軍の慰安所とは違うそうです。どこが?って感じですが、違いがあるとすれば戦勝国と敗戦国の違いでしょうか。勝てば何をやっても許されます。広島、長崎での核実験、東京を初めとする大都市への空襲という名の”一般人の大量虐殺”などなど。逆に負けた国の行為は何から何まで悪いとされます。
産経ニュース

占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明

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 【ワシントン=古森義久終戦直後の日本国内で占領米軍の命令により売春施設が多数、開かれ、日本人「慰安婦」数万人が米軍に性の奉仕をして、その中には強制された女性もいたことが米側にいまになって伝えられ、米議会下院に慰安婦問題で日本を糾弾する決議案を出したマイク・ホンダ議員は4日、議会調査局に調査を依頼した。しかし同議員は戦争中の日本の慰安婦は旧日本軍が政策として一様に拘束し、強制した女性ばかりだった点が米軍用慰安婦とは異なると述べた。

 AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという。

 同議員は自らが追及している戦時中の日本軍用の慰安婦と戦後の米軍用の慰安婦の比較について「日本軍の慰安婦は日本帝国軍隊の政策として性的奴隷という目的のために少女や女性を拘束し、強制し、拉致したのだから、米軍のそれとは異なる」と語った。

 AP通信は4月26日、東京発で米占領軍が進駐直後、日本の政府や旧軍当局に売春婦の調達や売春施設の開設を命じた一連の日本語書類が発見されたと報じ、その内容として(1)1945年8月末から9月にかけ、米軍の命令を受けて日本政府の内務省などが東京はじめ茨城県などの地方自治体に「慰安婦」集めを指示し、合計7万人以上の女性が売春に従事した(2)米軍当局はそれら女性の一部は強制徴用されたという報告があることを知りながら、慰安所開設を認め、連日連夜、米軍将兵が詰めかけることを許した−と報道した。同報道はこの米軍慰安所にかかわって当時の日本側関係者数人を実名で紹介し、その談話をも引用した。

 しかしこれら日本の米軍用慰安所は連合軍最高司令官のマッカーサー元帥の命令で1946年3月末には閉鎖されたという。

 日本側でも終戦直後に米軍から売春施設開設を命じられたことについては旧日本軍が米軍進駐受け入れの準備組織として結成した「有末機関」のメンバーたちの証言が残っている。このように軍隊に売春という組み合わせは旧日本軍に限らず、米軍も同様だったわけだが、ホンダ議員らは旧日本軍の慰安婦はみな「帝国の軍隊の政策として」強制徴用された点が日本側一般とは異なると言明している。

 マイク・ホンダは「戦争中の日本の慰安婦は旧日本軍が政策として一様に拘束し、強制した女性ばかりだった」と言ってるみたいですが、その証拠は何一つ出てきてないそうです。”政策”として行っていたのなら、書類が出て来なければならないのですが、旧日本軍が命令した書類は見つかってません。これだけ探しても見つからないのだから、”政策”として”強制して慰安婦にした”という事は無かったと言えるでしょう。
 昨今、軍の強制があったと報道されている内容は、どれも末端の指揮官や兵士の行動であり、”軍や国の政策”として行われたものとは言えない事例です。
 もちろん”強制した女性ばかりだった”というのは間違いで米軍の資料でも明らかなはずです。ミャンマーだったかな?で、米軍に尋問された朝鮮人慰安婦の証言には、強制されて慰安婦にされたという話は無かったそうです。彼女達が慰安婦になった理由としては、貧困による身売りというケースが多かったようです。