僕の音楽制作史その2
前回の続きというよりは、補足的な内容となります。
1999年頃、レコーディング機材を揃えるようになったかと言いますと、職場で知り合った人の自主制作のアルバムに関わっていたからであります。
それまで、非力なPerforma 588でMIDI音源で音を出すだけで満足していました。また、自分自身のオリジナルもありましたが、メロディーだけで歌詞が作れていない状態でして、録音については必要性が無かったので、その手の機材は一切持ち合わせていませんでした。
就職して会社勤めをしていたのですが、職場でやたらと「何か楽器弾ける?」と聞き回っている人物がおりまして、「Mac(打込み)ならできる」と答えておきました。その人物が、中野りうし氏でした。(現在はぴらにやカフェという謎のお店を経営?しています。ぴらにやカフェホームページ)
その当時の心境としては、まだ仕事にも慣れておらず、趣味で何かをする余裕は無かったのでMacの電源を入れる機会は激減していました。また余裕ができれば、再開するかも、程度の考えでした。
楽器が弾ける人を募集していた中野さんも、打込みにはあまり興味が無かったのか、その時はそれ以上の話はなかったのですが、何度か音楽等の話をするようになり、一度デモテープの交換をやろうという話になりました。
僕は打込みで作った歌詞の無いインストを渡し、中野さんは以前組んでいたバンド?の音源を持ってきました。そこでお互いの音楽の趣味が合致するなんて事は無かったのですが、僕以外に音楽を作る事に興味を示す人を見つけられなかったからなのか、僕と二人で音源を作る事になってしまったのでした。
最初は、カセットのMTRに打込みのカラオケを入れて、そこに中野さんが歌を入れる計画でしたが、上手くはいきませんでした。
中野さんも曲は書けるけど、レコーディングは他人まかせだったらしく、二人の素人が手探りで音源を制作していく事になります。カセットMTRじゃ難しいので、パソコンで録音しようと思い、Power Mac G3を買ったのでした。
ハードディスク・レコーディングが出来る環境を手に入れても、レコーディングのやり方については知識ゼロの状態です。機材のセッティングから試行錯誤。カセットMTRをミキサーの代わりとして使ったのですが、Macの方へミキサーからどう出力したら良いか分からず、手探りで何とか音を録れるようになります。
次に問題になったのは、MIDI音源の音をレコーディングするのですが、2chでオケを直で入れるとショボい音にしかならない。これをどうするかでした。しっかりと作り込んだオケなら話は違ったのかもしれませんが、当時は(今もたいして変わりませんが)アレンジの知識も経験も不足していたので、シンプルなオケしか作ることはできませんでした。
もっと大きい音にしたい!そこでドラム、ベース、ピアノを別々のトラックに録音してみましたが、それでも満足できませんでした。さらに、音を重ねようと考えたのがピッチとタイミングを少しだけズラして重ねていくという方法です。(深夜、NHKでABBAのドキュメンタリーが流れていまして、そこで音を重ねるテクニックとして語られていたのを見て、その手法をMIDI音源を使ってやってみようと思ったのです。)
そういえばこの頃、MIDI音源とミキサーの間に安物のマルチエフェクターを挟んでエフェクトの掛け録りをしてました。普通にDAWでエフェクトを掛ければ良いものを・・・。我ながらアホな事をしていたな。まだソフトの使い方も良く分からずに、手探りでやってたので・・・。
そんなこんなで?1年と少しぐらいかけて作ったのが、中野りうしさんのアルバム『しあわせBOX』でした。2001年発売で、500枚を10数年かけて完売したそうです。
上記変梃な方法で録ったのは3曲だけでして、残りはMIDI音源の音をそのまま2chで録音しただけの曲、中野さんが単独で制作した曲が入っています。この作品で僕は、オケだけ作って1曲を除いて歌入れには関与しませんでした。ミックスダウンまで関与したのはその1曲だけでして、最後まで自分で曲を仕上げてしまいたかったという思いはあります。しかし、当時の自分の力量を考えますと、まあこんなものだったのかな?とも思います。
今でしたら、もう少しマシな音作りに仕上げる事ができるかもしれませんが、逆に当時でしか思いつかないアイデアもあるので、この作品はこれで良かったのだと思う事にしています。
次回は(まだ続くのかよ・・・)いよいよ自作の曲について書いていきたいと思います。